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History 水墨画と鎌倉
弓砂湖先生は大学院での論文執筆の過程で、日中水墨画を仏教伝来の背景や精神性と紐づけて深く研究しました。学術研究は制作に豊かさを与え、表現の幅を広げます。レッスンでは歴史のカケラに言及することで認識が深まり、画力を高める糧になります。
現代に於いても禅宗五山が守る、水墨画の発祥地である鎌倉で水墨画再興をすることに深い価値を感じ、一緒に文化を養い育てていきましょう。
鎌倉時代以前の中国に於ける美術
中国では、宋代までに書画を中心とする中国美術の最高峰を形成し、書画及びその美学は思想や哲学と共に日本含む周辺地域にまで伝播し、同時に東アジア美学の根源として確立しました。北宋時代には徽宗皇帝(1082-1135)の手により宮廷絵画の領域で美術の精緻な優雅さは極まり、現代に於いても北宋絵画は中国美術の頂点として認識されています。また南宋に入ると、首都臨安(杭州)の寺院が林立した環境での統治により支配層には禅が浸透し、画僧が美術の中心となりました。同時に、仏教も美術も階級を越えて文人へと裾野が広がってゆきます。北宋美術と思想を異にして、水墨画は南宋美術及び文化の象徴となりました。
鎌倉時代、禅宗と水墨画の伝来
鎌倉時代には、南宋と日本の仏教を中心とした文化交流が盛んで、精神修養の側面が強い禅宗は鎌倉武士文化の基軸となり、南宋末期に制定された“五山十刹”を倣って鎌倉と京都に五山が制定され、鎌倉文化の中心となりました。火災による焼失等により現存の作品は多くありませんが、禅宗の不立文字の性質により絵画とりわけ彩色を排除した水墨画と相性が良く、禅林の中で僧侶たちが描いた仏画や山水画が日本水墨画の発祥と推定できます。
禅宗の容貌がとりわけ現れている南宋時代の美術作品が主に日本に伝来し、受け入れられたことから、水墨画と精神性は現代に至っても深く結びついています。
室町時代以降
日本で最も有名な水墨画家といえば、雪舟(1420-1506)。室町時代に雪舟は1467年、遣明使節船に乗って明に渡り、写生をしながら中国各地を探訪し、禅宗への理解を深め、贈答された美術品を日本へ持ち帰りました。雪舟画の多くには中国画との共通点が見られ、同時に雪舟のスキルとクリエイティビティの高さもまた見て取れます。以降、安土桃山から江戸時代まで日本水墨画のトレンドは変化し続けますが、多くの作品に雪舟画や宋元明画からの学びや憧れが見て取れます。
明治時代の西洋文化伝来以降、美術の主流が変化し、日本水墨画は一気に衰退し、戦後の大学教育に組み込まれることがなかったため、日本に於いて水墨画制作技術の伝承が途絶えました。しかしながら、禅精神は日本人の自然崇拝的な民族性と性質を分かち合い、今なお日本美術の核心にも浸透しています。
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